赤烏記

 

防長風土注進案 伊保庄より

 

 當村を伊保庄と申事ハ往昔三足の赤烏當郷に生し、里人是を志賀の都に捧げ奉りければ叡感ありしよし、よって始めて烏王庄(又烏雄庄トモ)と呼ひ候を、いつの頃より歟伊保庄と革め候よし、稍古き事ニ候得は慥なる事ハ相知かたく古老の申傳ニ御坐候

 

小烏社     在高洲   藤井周馬祭之

祭神 保食命 天武天皇御歌モ祭り候由申傳

 

 

現代語訳

 この村が伊保庄と名付けられているのは、遠い昔、三本足の赤い烏がこの地に生まれて、村人たちがこれを志賀の都に献上したところ、天皇は大変にお喜びになり、そのことからこの地を烏王庄、または烏雄庄とも呼ぶようになったが、いつの頃からか伊保庄と改めたことに由来する。やや古いことであるから、確かなることは定かではなく、村の年寄りの申し伝えるところである。

 

 

尾川恒祐氏の記述

 人皇40代天武天皇14年(686)この地に朱い3本足の烏が生れたので、これは珍しいと言うので朝廷に献じた処、天皇は大変に喜ばれ年号を朱鳥とし、この烏を生んだ庄を烏王の庄と名付けられたのが伊保庄に転訛したものと言はれています。又天皇崩御されて後この烏も亡くなったので、その霊を此の地に祭祀したと伝えていますが、そう言えば天武天皇即位14年に朱鳥の年号があります。

 

保食神および天武天皇御歌について

 烏の霊が保食神と習合されたるは往古烏霊なるも垂迹して神姿なり。神顕新たなるは農作も漁業も商売も等しく神恵なり。人々漁業の生計が後に農業人多くなるが故に農作物の繁栄を祈ることしきりなり。此処に小烏の神は保食神と習合したるものと考えられるが何時なるやは不詳なりとあります。又風土註集案には天武天皇御歌も祭り候由申傳とありますが、これも拝見した者ありとは誌してはいません。

 

 

あとがき

 なぜ三本足の烏なのかと誰でも疑問に思うことでしょうが、これはもともとは古代中国の易の思想であります。私は易学については不勉強なもので、山本殖生氏の『熊野 八咫烏』(原書房)から一部引用させていただきます。

 

「なぜ三足なのか?」とよく質問される。二本足では普通の烏で面白くない。三本足の不思議さ、特異さが霊性を感じさせてきた。太陽には三本足の烏が棲むと考えられた。太陽の黒点からの発想ともいわれる。日の出、正午、日没の太陽光を象徴的に示しているとも観想された。陰陽思想に基づいて、天・地・人の三極は宇宙を構成し、万物の生成と調和を意味する聖なる数字と考えられた。陽の気のエッセンス、その第一が太陽であり、日は天の火である。太陽=火精とされた。だから八卦では、陽の乾卦は天を意味し、離は火を表す。火を表す(☲)の真中が空洞なので烏字を通じ、太陽=天=火=烏と連想し、陽の奇数三(☰)から三本足の烏が太陽中に棲むと構想されたという。~~

 

 以上が中国・高句麗・日本など、三足烏を共有する東アジアの古き信仰、哲理であります。わが国では八咫烏として、初代神武天皇の先導のために天照大御神に遣わされております。私はこれに加え、なぜ三本足なのか、なぜ五色なのかということを考え続け、それなりに答えを出しております。小烏はもともとが神仏習合の宥和的なミックス思想なので、自分もそれに倣って神仏基習合、万教帰一的な思索をしております。

 三本足については、一つは天上の真理あるいは絶対者、二つは霊的な聖なる力、三つは肉体を持って現れた聖者という意味を持つものと考えます。それが仏教では三身説、法身・報身・応身(歴史上のゴータマ・シッダールタ)であります。キリスト教では三位一体、父なる神・聖霊・受肉したキリストであります。神道と小烏については独自に考え、神道では日本三霊尊と名付けて、天照大御神・直日神・神々の直系である天皇陛下を、そして五烏三輪身として、この宇宙そのものであり、常住不変の形而上の天之高鴉神・我々衆生を憐れむ御心からあえて中有界に留まってお護りくださっている五烏守護神・実際に現世に五色の烏として顕れた五烏大明神とを配しました。直日神については、本居宣長の思想に着想を得ました。イザナギが黄泉の国から帰って禊をした時に、八十禍津日神という災いをもたらす悪神が現れ、それを浄化するために生まれたのが直日神という善神であります。ちょうどキリスト教の聖霊と、それと対立する悪霊(サタン)と軌を一にするものであります。仏教でも、修行中のブッダを誘惑した悪魔(マーラ)や魔王波旬などがあります。洋の東西は違えど、それぞれ一致するところがあるのではないでしょうか。しかしながら、この悪霊や悪魔などは、何もホラー映画のように恐ろしい姿を持って存在するのではなく、私たちの心の中にひそんでいると思われます。人は心次第で仏にも鬼にもなります。各人の一番弱いところを狙って、悪魔は私たちを破滅させようとしています。煩悩を浄化させない限り、本当の幸せを得ることはできないでしょう。

 天之高鴉神という神名についてですが、これは私自身が名づけました。当初は五智如来あるいは大日如来を想定していたのですが、五烏経で社殿と御神木が朽ち果てんとした時に、祖先の夢枕に現れたお姿は、神勅の内容的にも密教の概念にとらわれない高洲独自の神、真のお姿であると思いましたので、僭越ながら名付けさせていただきました。「烏」ではなく「鴉」の字を充てたのは、鴉は大鴉(レイヴン)を意味するそうでありますので、より偉大なる象徴を示さんといたしました。高洲の鴉(烏)なので、高鴉神なのであります。私はこのお姿を、世界の宗教の神々諸仏の真の御姿、本地の本地であると信じております。

 この赤烏記は素朴な短い言い伝えではありますが、本当は五烏伝説よりこちらが先にあったのかなと思います。いずれにしましても、極めて古くからカラスの神霊を崇めていたことは間違いないです。私も生涯、信愛(バクティ)するつもりですが、亡き後もどうか後の世の人々が忘れないで大切にしていってほしいです。よろしくお願いいたします。命根長養、五臓安寧、心月澄明、なむこがらす。

 令和六年一月二十日  高河慧佑 謹言

 小烏は医療神で、一切の病を除かれると誓われておられますが、これは我々自身の心がけも大切であります。病を防ぐ方法として、まず第一に戒律、仏教なら五戒、十善戒を、キリスト教なら十戒を守ることが求められます。この戒めを守ることが心の平穏の大前提であります。第二に貝原益軒のいう、内欲と外邪を防ぐことが挙げられます。内欲は煩悩を消除し、欲望を控えることで精神的な害を防ぐこと、外邪は不摂生や劣悪な環境、事故など身体的な害を防ぐことです。それでも病気になってしまったら、第三として医者にかかり治療を受けることになります。そして病は治ると希望を持って神に祈りを捧げていきましょう。場合によっては病や死を受け入れるという諦観も必要かもしれません。私の好きなローマの哲人セネカの言葉に、「君たちの幸せは、幸せが要らないことだ」というものがあります。老子の「知足」いわゆる足るを知るということも共通しています。なかなか難しいことですが、苦難を受け入れるということも大切です。

 

 

三本足の意味

 

      真理=聖なる力=肉身

      天界=中有界=現象界

      五智(霊魂)=五行(元気)=五臓(物質)

      天(言霊)=地(聖域)=人(衆生)

五烏三輪身 天之高鴉神=五烏守護神=五烏大明神

日本三霊尊 天照大御神=直日神=天皇陛下

三身説   法身=報身=応身(ブッダ)

三位一体  父なる神=聖霊=イエス・キリスト

*これはいわゆるペルソナ、神の異なる存在様式である。

 

 

五色の意味

 

五烏教五神 五烏大明神・市杵島姫命・蛭子神・保食神・石槌権現

五行  木・火・土・金・水

五常  仁・義・礼・智・信

五神獣 青龍・朱雀・白虎・玄武・黄竜(麒麟)

五仏  大日如来・阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来

五智  法界体性智・大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智

五大明王 不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王

仏教の五大 地・水・火・風・空

ギリシアの五元素 火・風・水・土・アイテール

キリスト教 ミカエル・ガブリエル・ラファエル・ウリエル・キリスト

イスラーム ジブリール・ミーカール・イスラーフィール・アズラーイール・アッラー

 

 

尾川氏の遺言

 今日のような物足りた世の中には不信仰でもよいと考えられますが、本当の心の憩いの場は神仏の御前にあるように考えられます。心の宝は信仰であります。この心を子孫に相続さすことが、子孫の幸福を招来する無限の財宝と故人は言っています。その通りと考えられます。

 

なむこがらす

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赤烏記(せきうき)
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