周防の独眼竜・白井小介
儒学者、兵法家
竜騎士、スナイパー
南奇兵隊軍監、従五位
小烏の境内にあるオベリスクの撰文
五烏社厳嶋神所使令五彩烏也
神駕五烏至伊保庄
安之烏病死
神埋之因建社
霊異 白井素行撰
五烏社は厳島神の使令する五彩烏なり
神、五烏に駕して伊保庄に至る
これを安んずるに烏病みて死す
神、これを埋め、因りて社を建つ
霊異あり 白井素行撰
令和5年9月12日 小烏神社境内に立つ二柱の注連石(オベリスク)
五烏社厳嶋神所使令五彩烏也神駕五烏 至伊保庄安之烏病死神埋之因建社霊異 白井素行撰
黒島下の郷土史家・尾川恒祐の記述
注連石刻字について
白井先生は阿月浦家の儒臣で、克己堂学頭を勤められた方で文政9年(1826)、萩の儒者・白井弥蔵の嫡男として生れ名を小助、諱を素行、後成長して阿月浦家に仕え青木に住し、物頭となり南奇兵隊編成するや総督となり、明治維新には北陸に出勤し官軍参謀、軍政部長として智略縦横の手腕を揮った人で、北陸の人からその人柄を慕はれたと言います。明治5年(1872)、平生町宇佐木に住し郷党を育成し、明治35年(1902)、77才で他界されました。従五位、現在田布呂木峠頂上付近西側道路路傍に顕彰碑が建っています。
平成30年6月28日 田布路木〜平生の峠にある山縣有朋による顕彰碑にて
平成30年6月24日 田布施町・石城山にて 白井総督による第二奇兵隊の練兵場跡
平成29年12月30日 隻眼の竜騎士が南奇兵隊を結成した地 光市・室積の象鼻ヶ岬
