汝らいずこに顔を向けようとも、必ずそこに神の御顔がある。
こんにちは。僕は自他ともに認める小烏大好き人間です。すでに確固たる信仰を持ち、もはや揺るがぬ想いで貫かれています。けれども、はっきり言って小烏神社は客観的に見るとしょぼいです。なんでこいつはここまでこんな小さな神社にこだわっているのかと思われていることでしょう。小烏神社はたとえば、熊本の上色見熊野座神社のような「異世界」には神秘で負け、僕はそれこそ空海のような知的エリートに哲学で負けています。それでもなぜ僕が小烏を篤く信仰するか、そして決して他に負けていないことをお話しします。
そもそも、僕はこの小烏の山の真下で生まれ育ち、山を元気いっぱいに駆け回って遊び、家の庭から仰ぐ神の山の光景に憧れ続けていました。子供心にも何か神聖なものを感じていたものです。そして家庭や学校で苦しいときは抜け出して駆け込み寺のようにしてきました。神様はいつも無言で、木漏れ日や小鳥のさえずりによって温かく迎えてくれました。この幼少期に感じた温かい記憶と安心感がずっと僕の心にはあります。物理的にも精神的にも僕にとってかけがえのない支えだったわけです。そして著書にも書いたとおり、小烏の山のさらに上に登って天の門に到るという神秘的な夢も子供の頃に何度も見ました。こうした素朴な原体験が僕の信仰の原点であり、極めて個人的なものなので他の誰とも共有できないものです。いくら伝説を解読してもそれを信じる人はおらず、難しい神学を打ち立てても理解する人はいません。ただ言えることは、小烏神社は素朴で普通に良いところであり、特に辛いときに避難所になります。ここには大きな神社やお寺のように、話を聞いてくれるお坊さんはいないし滅多に人も来ません。でもかえってそれがいいのです。変に説教されたり惑わされて期待外れになることもありません。下界から隔絶された空間で、ひとりで静かに自分自身と向き合い、自然に囲まれて神様と一対一で過ごすことができます。だからここへ来て単に自然を楽しむのもいいし、傷ついた心や疲れを癒すにも最適なのです。観光地化された有名な寺社にはこれはありません。松任谷由美の歌にあるように、「優しさに包まれたなら、目に映るすべてのものはメッセージ」なのです。
以前、柳井高校の生徒が早朝に線路にうずくまっていて轢死した痛ましいことがありました。学校にも家庭にも居場所がなかったのかと、追い詰められた彼の苦しみを思うと涙があふれてきます。彼には死ぬ前に小烏神社に登ってほしかった。なぜなら、僕自身がそうやって死ぬほどの苦境を何とか生き延びてきたからです。夜でも関係なく登って月の光に照らされながら過ごしていました。ここがなかったら僕も死んでいたでしょう。どうか柳井市のどこにも自分の居場所がなくて苦しんでいる方、ぜひ小烏神社を訪れてみてください。宗教?うさんくさいなと思ってもいいです。頭で神様や伝説がどうとかがわからなくても、杜の中に佇むことで体でわかります。自然や癒しでも、パワースポットやマイナスイオンでも言い方は何でもいいですが、小烏の杜にはその力があります。苦しい気持ちで登ったのに、帰るときには「よっしゃ頑張るぞ」と心機一転して清々しい気持ちで降りていくでしょう。
今は亡き地元の郷土史家の尾川恒祐が、小烏神社についてのレポートの最後にこう書き残しています。
「今日のような物足りた世の中には不信仰でもよいと考えられますが、本当の心の憩いの場は神仏の御前にあるように考えられます。心の宝は信仰であります。この心を子孫に相続さすことが子孫の幸福を招来する無限の財宝と故人は言っています。その通りと考えられます。」
まさにこの通り、僕の心の憩いの場は小烏神社にほかならなかったのです。ここがあったから今の僕があるのであって、今はただここまで生かされていることに神に感謝するばかりです。どうぞあなたにも神の御守護がありますように。なむこがらす。
令和七年九月十七日 五烏社ノ使徒 高河慧佑 謹言
我魂ハ中有ニ留リ、命根長養ノ守護神トナルベシ。我姿青黄赤白黒ト五ツノ色ヲ現ス事、五知ノ如来、五行、五臓ヲ守ル表相ナリ。人間ハ勿論、畜類ニ至ル迄デ、一切諸病ヲ除キ、五臓安寧ノ守護神トナルベシ。
コメントをお書きください