小烏神社には小さい頃からの思い出がたくさん詰まっているが、比較的最近のものとしては次のようなものがある。
わたしがいつものように神社に登っていくと、上の方から野球部の高校生が一人で降りてきた。おそらく、柳井高校の野球部員であっただろう。しかし普通は友達と訓練なり遊びなりで来るはずである。わたしは一言だけ挨拶して彼も答えてくれたが、どこか寂しそうな表情をしていたことを覚えている。何か悩みや学校で嫌なことでもあったのだろうかと後からもう少し声をかけていたらよかったと後悔している。彼が社会に出ても神のお守りがあることを心から祈っている。
次に、またいつものように神社に登っていると、上の方から知的障害らしき子供を連れた母親の二人が降りてきた。わたしは優しい言葉をかけてあげたかったが、かえって失礼かと思いあえて挨拶だけにとどめた。子供といってももう大人であり、母親も老いた母親であった。母親は子のそばに寄り添い、ゆっくりと守るように降りていかれた。小烏の神は病気や障害を癒すお方であるから、この母子にも神の救いがあることを祈る。
また次に、今度は自宅の庭から小烏の山を眺めていたときである。麓の方を見ると、イスラム教徒と思しきフードを被った女性が自転車を停めて、小烏の山に向かって一心に祈っているのである。わたしはムスリムは排他的かと思っていたので、素直に嬉しかった。ちなみに彼女は、わたしが自宅から車で出るときも出会したことがあり、控えめに自転車を止めておられた。わたしが先に通るよう促すと、ぺこりと会釈をして自転車で小烏の方向へ走り去っていった。このような寛容で謙虚なムスリムの方々、柳井で出稼ぎに来て働いている東南アジアの人たちが幸せになってほしい。彼らには桜土手などでたまに見かけるが、とても謙虚で優しいのがすぐにわかる。小烏の神が彼らを祝福されることを祈る。
小烏の神、五烏大明神は、声にならぬ声、祈りにならぬ祈り、誰にも言えぬ悩み、一人で流す涙を必ず見ておられる。わたしは彼らのことが今も忘れられない。小烏神社の霊気で少しでも癒されたなら幸いである。どうか彼らが今も幸せでありますように。
わたし自身がそうしてきたのだが、小烏神社は最後の避難所である。たとえ人や社会に見捨てられても、神は決してわたしたちを見捨てはしない。
あなたがもし悲しみを抱えておられるなら、一人で小烏神社に登ってみてほしい。誰もいなくても神が迎えてくださいます。一人であることがかえって癒しにもなり、また内省的になりうる。神は必ずあなたの声を聴いておられるから安心してください。それは自然の囁きという形での応答であるかもしれません。充分に聖域で神のエネルギーを充電して、神と共にお帰りください。
それでは、小烏神社を訪れるすべての人に、神の祝福があることを祈ります。
なむこがらす。
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